【驚愕】日本に本当にあった!生贄の風習に迫る

歴史

漫画やアニメでよく見る生贄の儀式。もちろん、現代では世界中のほとんどで生贄は認められていませんが、古くは日本においても生贄の風習が実際にありました。

生贄は基本、神などの信仰対象に対して捧げるために行われてきました。そのなかでも特に、人間を生贄に捧げることを人身御供や人身供犠と呼び、日本でも古くは行われていたというのだから驚きです。

ここでは日本に実際にあった生贄の風習を紹介していきます。

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邪馬台国時代の殉葬

邪馬台国といえば2世紀から3世紀ごろに現在の日本列島のどこかに存在したといわれている王国です。この国の女王・卑弥呼は日本人であれば誰もが知っている名前でしょう。

そんな卑弥呼が死去したとき、およそ100人もの人々が殉葬されたといいます。殉葬というのは身分が高い人の魂を鎮めるために、ある一定の身分の人たちが殉死させられ、共に葬られることを言います。

この儀式は日本の邪馬台国だけではなく、世界中の文献から存在していたとの記述が見つかっています。この殉葬は一種の生贄といえるでしょう。

人柱(ひとばしら)

人柱も生贄の一種です。この風習は明治時代後期まで実際に日本で行われていました。以下が人柱の概要です。

人柱(ひとばしら)とは、人身御供の一種。大規模建造物(橋、堤防、城、港湾施設、などなど)が災害(自然災害や人災)や敵襲によって破壊されないことを神に祈願する目的で、建造物やその近傍にこれと定めた人間を生かしたままで土中に埋めたり水中に沈めたりする風習を言い、狭義では古来日本で行われてきたものを指すが、広義では日本古来のそれと類似点の多い世界各地の風習をも同様にいう。

実際の例としては、1912年(大正元年)に着工され、1914年に開通した北海道にある常紋トンネルがあります。

このトンネルの建設にはタコ部屋労働と呼ばれる過酷な労働環境で働かされた労働者たちが有名です。あまりの過酷さから亡くなった人も多く、記録では100名以上が殉職されています。

なかには現場監督の指示に従わず、スコップなどで殴られ命を落としたという記録もあるくらいです。そんな人々の遺体は人柱としてトンネルに埋められたといいます。

これらの話はあくまでも伝説とされてきましたが、十勝沖地震で損壊したトンネルの工事が1970年年に実施された際、壁面から人骨が出てきたことで人柱伝説は実話であったことが明らかになりました。

三股淵の生贄伝説

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歴史的文献にも記述が多く、実話の可能性は極めて高いといわれているものに『三股淵の生贄伝説』があります。(事実と確定しているわけではないので伝説と表記しています)

三股淵というのは現在の静岡県富士市にある田子の浦港の奥、沼川と和田川が合流する場所のことをそう呼んでいました。

この伝説は『川に竜蛇が住んでおり、少女を生贄に捧げて鎮めていた』というものです。

生贄に捧げる条件としては、15~16歳の少女であることや、美しい娘であること、処女かつ巫女であることなどがあったようです。

生贄の捧げ方としては、自ら入水の形をとるか、そのまま村民に川へ投げられるという形だったそうです。

民俗学者・中山太郎氏の著書にも多く見られ、実際に行われていた可能性は高いと思われます。

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