伝説の喧嘩師の異名を取る花形敬。
彼は安藤組の大幹部として、一生をやくざの世界で過ごしました。
過去に安藤昇さんについて書いた記事でも花形敬のことは取り上げました。
色んな作品のモデルにもなっているので知っている人も多いかと思います。
有名なところで言えば、週刊少年チャンピオンに連載されていた『グラップラー刃牙』の花山薫が有名ですね。花形敬をモデルにしています。
作中でも最強の人物と謳われる彼ですので、人気もありますね。
花形敬のことを色々調べているなかで興味を持ったのが、『彼の子孫がいるのかどうか』ということです。
もしいるとすれば、どんな人生を送っているのかって気になりますよね。
花形敬は33歳で絶命
花形敬の数奇な人生は調べれば色々と出てくるので、あえてここで再掲する必要もないでしょう。
ただ、子孫がいるかどうかを確かめるうえでは彼の人生を追っていかなければ話になりません。
ということで、彼の誕生から見ていくと、昭和25年に安藤昇の舎弟になるまで結婚をしたという経歴はどうやらないようです。
昭和25年ということは花形敬20歳の頃ですね。
娘が一人いたという噂
花形敬について少し調べてみるとわかりますが、彼には娘さんが一人いたという話があります。
この話は正直噂レベルだと思っていて、確かなソースがありません。
噂によれば、『花形敬が料亭近くで対立する暴力団員に刺殺されたとき、娘へのプレゼント(人形)を持っていた』とかいう話も残っています。
火のない所に煙は立たないので、安藤昇の著書を中心にいろいろ調べてはみたものの、正直真相は分かりません。
ただ、彼の事件当日の足取りを追ってみると、娘へのプレゼントを持っていたという話は事実と異なる気もします。
事件当日の足取り
花形敬が刺殺されたのは昭和38年9月27日の午後11時15分ごろ。
もうすぐ日付が回ろうとしている夜中、神奈川県川崎市の自宅アパート近くにあった料亭「仙寅」のまえで刺客2人に刺殺されています。
花形はこの時、自宅アパートに帰ろうとしている最中でした。
車から出た直後に刺殺されたんですね。
この少し前を見てみると、彼は新宿のクラブでお酒を飲んでいます。
時間としては午後10時ごろだったようですが、娘へのプレゼントを持ってクラブに飲みに行くというのも少々考えにくいのかとも思います。
娘がいたと仮定すると
考えにくいというだけで、もしかしたら本当の話かもしれませんよね。
ですので、もし娘さんがいたとして少し考えてみます。
すると、花形が亡くなったのが昭和38年。このとき彼が33歳だったことを考えると、娘さんが今もご健在であるならば2018年時点で50代後半~60代前半ということになりますね。
事件当日に人形を持っていたことが本当ならば、この当時娘さんはまだ幼かったと推察されます。
そう考えると50代後半くらいが濃厚なのかなと思いますね。
でも、不思議なのは花形敬の結婚相手の話が全く出てこないことなんです。
いくつか書籍にも目を通しましたが、彼が病院に運ばれたときも、葬儀の席での話も、いずれをとっても母親の話しか出てきません。
そう考えると、そもそも結婚はしていなかったんじゃないか?って思えますよね。
女遊びが激しかったことでは有名
結婚はしていなかったとしても、愛人との間に子供がいた可能性というのは否定できません。
というのも彼の女遊びはなかなかすさまじかったようです。
これは安藤昇の著書で書かれていることですが、若いころはそれこそとっかえひっかえのような感じ。
花形敬が生きていればまた女遊びをしたいと安藤昇は晩年語っていたそうです。
女遊びが激しいというのはやくざの世界では当たり前なのかもしれませんが、その女性たちとの間に子供がいた可能性は捨てきれませんね。
彼のお墓を見てみると子孫はいなさそう
いろいろ調べる中で注目したのが彼のお墓です。
普通、お墓は子孫が代々守り抜きますよね。
ですので、娘や孫がいるのであればお墓の管理をしているはずです。
花形敬のお墓は 小田急小田原線の経堂駅近くにある常徳院というところに建立されています。
この墓石には、『小池光男、安藤昇、友人一同』という文字が施主として刻まれています。
ここに家族の名前はありません。
こういう点から考えてみると、花形家の子孫はいないのではないかと思えますね。