本因坊秀策といえば、囲碁の世界では超有名な人物ですね。
一昔前に流行ったヒカルの碁のなかでも本因坊秀作は登場し、幼名である虎次郎の名前も有名になりました。
この漫画のなかでも秀策は棋聖と呼ばれており、伝説の棋士として謳われています。
それだけ凄いといわれると、どれくらいの強さだったのか気になりますよね。
当然今生きていたらどれくらい強いのか?というのは推測の域を出ないわけですが、彼にまつわる歴史上の出来事やエピソードを参考に強さを考えてみました。
本因坊秀策が残した数々の最強伝説
本因坊秀策が囲碁の歴史上最強だ!とか、棋聖だ!といわれているさまざまな伝説を紹介します。
伝説といっていますが、誇張した作り話ではなく、基本的にはどれも公式記録に残っている実話です。
- 御城碁19連勝(無敗)記録
- 耳垢の一手
- 幼少時代の才能
- 本因坊丈和による必死の説得
それぞれ簡単に見ていきます。
御城碁19連勝(無敗)記録
これは秀策関連のエピソードのなかでも一番有名な話ですね。
当時唯一の公式戦であった御城碁で、19戦無敗という凄まじい記録を打ち立てました。
ここに出てくるのは当時、本因坊家と肩を並べる囲碁の名門、安井家や井上家、林家のトップ棋士ばかり。
そのため、19連勝というのは本当に凄いことで、常人ではなしえない偉業だったんです。
耳赤の一手
これも有名なエピソードですね。
1946年の9月、囲碁の家元・井上家の当主、井上因碩との対局のなかで碁盤中央に素晴らしい一手を放ちました。
この一手によって、形勢は大きく傾き、一気に秀策が押し切ったといわれています。
秀策が打った直後、井上の耳が真っ赤になったことから耳赤の一手といわれています。
この一手を予測できたものはその場におらず、秀策の大局観がいかに優れていたかという例としてもよく話されるエピソードです。
幼少時代の才能
どの分野でも天才というものは小さいころからその類まれなる才能を発揮する傾向にあります。
本因坊秀策も例外ではなく、幼少のころから囲碁の才能を発揮しました。
ある日、父親に叱られて押し入れに閉じ込められた秀策を、出してやろうと思って母が扉を開けると、押し入れのなかにあった碁盤と碁石を使って遊んでいたのだそうです。
それを見た母親は『囲碁と深い縁があるのかもしれない』と思い、囲碁を教えることに。
その結果、わずか数年後、秀策が7歳になる頃には地元屈指の実力者だった三原城の城主と肩を並べるほどになりました。
周囲は彼の才能に驚き、神童の名をほしいままにしたという記録があります。
本因坊丈和による必死の説得
若くして囲碁の才能を発揮した秀策は、本因坊家に入門。
そこかでめきめきと力をつけていきました。
そして、上で紹介した耳赤の一手を放った井上因碩との対局の後、彼の実力は日本の囲碁界に知れ渡ることになります。
秀策の強さを認めた当時の当主・本因坊丈和は彼を本因坊家の後継ぎにしようと養子に入ることを説得します。
このとき、秀策は跡継ぎの話を簡単には飲まなかったのです。(地元で自分を囲碁の世界に送り出してくれた城主や藩への義理があった為)
しかし、丈和はどうにか跡継ぎになってもらえないかと、長期間秀策を説得し続けたのです。
どうにかして跡継ぎにしたいというほど、彼の実力が群を抜いていたことはこのエピソードからも分かりますね。
現代に蘇ったと仮定した場合の強さ
一番気になるのはここですよね。
もし秀策が現代によみがえったとしたら、どれくらいのポジションになるのか?
これは色んな議論がされていますが、現代のプロ9段と対等に渡り合う程度というのが一番有力だと思います。
もっと正確にいうのであれば、現代のトップ棋士と互先で勝負し、10戦したら初めの5戦は負けてしまうが、残りの5戦は引き分けという感じだと思います。
なぜこういう風にいえるのか?というと、当時と現代とでは囲碁の研究の進み方が全く違うからです。
長い囲碁の歴史のなかで、最善の一手を極めようとさまざまなトップ棋士が頭をひねって考えてきました。
その典型が布石や定石といわれるものですね。
この布石や定石を見るだけでも、当時と現代とでは全く違うんです。
例えば、本因坊秀策というと秀策流という布石が有名です。
当時はこの秀策流の打ち方は最強だと思われていましたが、現代では否定されています。
悪い手ではありませんが、もっといい布石がたくさんあることが研究の結果わかっているんですね。
ですので、今のプロで秀策流を打つ人はほとんどいません。
こういうように、研究の成果(知識量)による差はあると思いますが、囲碁そのものの実力(ヨミや形勢判断)ではほぼ対等だと思います。
このようにいうと、『なんだ。凄い伝説の棋士だと思っていたのに今のプロと変わらないのか。』と思ってしまう人が多いと思いますが、これは凄いことなんですよ。
だって、今は院生もありますし、そもそも囲碁を教えてくれる環境がしっかりと整っています。
でも、当時はこういう設備が全く整っていなかったわけです。
こういうことを考えてみると、秀策の凄さがわかってくるんじゃないでしょうか。