飛天御剣流のモデルは河上彦斎の『玄斎流』

マンガ

1980年代~1990年代前半の人であれば、るろうに剣心を漫画で読んでいたという人も多いと思います。

佐藤健さんの主演でるろうに剣心が映画化されましたが、漫画やアニメのるろ剣を愛している人はちょっと複雑な思いだったかもしれませんね(^-^;

かくいう私もそうで、るろ剣は漫画もアニメもかなり真剣に見てました。今でもこれ以上ハマった漫画はないと言い切れるほど素晴らしい作品だと思っています。

そんなるろ剣に出てくる剣術といえば、なんといっても飛天御剣流ですよね。主人公緋村剣心が使う最強の剣術です。

剣心も飛天御剣流も実際には存在しないフィクションであることは間違いないのですが、モデルはあります。

剣心のモデルは幕末の動乱を生きた河上彦斎。そして、飛天御剣流のモデルは河上彦斎が使った我流『玄斎流』です。


河上彦斎の使った『玄斎流』とは

河上彦斎が剣心のモデルであるというのはるろ剣ファンにとっては結構有名な話でしょう。一応、河上彦斎って誰?という人のために概要を引用しておきます。

河上 彦斎(かわかみ げんさい、天保5年11月25日〈1834年12月25日〉 – 明治4年12月4日〈1872年/明治5年1月13日〉)は、尊皇攘夷派の熊本藩士である。諱は玄明(はるあきら)。幕末の四大人斬りの一人とされる。明治維新後も攘夷を強固に主張しつづけたため、藩と新政府に危険視され、斬首された。

wikipediaより引用

生きた時代も幕末で同じですし、人斬りとして名をはせていたのも剣心と同じですね。

この河上彦斎が使った流派こそ、飛天御剣流のモデルといわれている『玄斎流』です。

『玄斎流』は神速の剣術だった

玄斎流といっても、これは正式名称ではなく通称です。

河上彦斎の幼少期についてはあまり詳しいことが分かっておらず、剣術もどこで腕を磨いたのかわかっていません。

ただ、一般的に言われているのは河上彦斎は我流であったということ。幼いころから見様見真似で剣術の練習をし、その結果完成されたのが『玄斎流』であったということです。

この『玄斎流』はまさに飛天御剣流を彷彿とさせる神速の剣術。緋村剣心も作品の中で抜刀術を得意としていますが、河上彦斎も実際に抜刀術の達人だったといわれています。

抜刀術は通常のように刀を鞘から抜いて上から斬り付けるのとちがい、抜く動作と斬り付ける動作が同時に行われるため、先手を取れる神速の剣術といわれたんですね。

その抜刀術を実践の中で使い、完成させたのが河上彦斎といわれています。

河上彦斎の使った剣術はまさに『天翔龍閃』を連想させる

剣心が繰り出す飛天御剣流の技のなかで好きなものはなんでしょうか?

九頭龍閃?龍追閃?龍翔閃?

いろいろあると思いますが、なかでも一番人気なのはやっぱり奥義『天翔龍閃』ではないでしょうか。京都大火編で志々雄真実を破った際に放つ天翔龍閃は記憶に焼き付いている人も多いことでしょう。

そんな天翔龍閃ばりの抜刀術を河上彦斎は実際に行っていました。

天翔龍閃は右足で踏み込み、その踏み込みと同時に抜刀して相手を下から上に斬り付ける技です。一方、河上彦斎の抜刀術も下から上に切り上げる逆袈裟斬りというもので、姿勢は地面すれすれまで低くして斬りかかっていたようです。

この熟練した抜刀術のうえ、150cm程度の小柄であったため、動きも相当早かったといわれています。まさに神速の剣術ですね。

流派として確立されているわけではない

個人的に残念なのが、あくまでも我流であってそれをちゃんとした流派として門下生などを取っていなかったということです。そのため、現代にこの技術を伝える流派はありません。

抜刀術を伝える流派は今でも残っていますが、地面すれすれの低い姿勢から放つ神速剣術はありません。実際に目の前で見てみたい技術ですが、それが叶わず残念ですね。

最終的に斬首となり処刑された河上彦斎ですが、礼儀正しく大変優しい性格だったと伝えられています。その一方で、勝負になれば冷酷なまでに人を切り捨て、手加減なしの非常に残忍な側面もあったとされています。

こういう性格の面もまさに緋村剣心を彷彿とさせます。

我流であったこと、流派が残っていないこと、38歳という若さで亡くなったこと、詳しい記録が残されていないこと・・・

などなど、残念な点は多いですが、確かに日本の歴史上を生きた伝説の抜刀斎であることに変わりはありませんね。

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