【名刀】国宝指定されている日本刀がカッコよすぎる

歴史

海外の人でも、日本刀が好きな人は多いですよね。

同時代に世界各国ではさまざまな剣が使われていましたが、そのなかでも日本刀は切れ味と頑丈さという面で特に優れていたといわれています。

そんな日本文化を象徴する日本刀のなかには、出来が素晴らしく、歴史上に名前が残っている偉人たちの手に渡ってきたという理由から国宝に指定されているものがあります。

刀のような有形のものは、重要度が高くなるにつれて有形文化財→重要文化財→国宝という風に認定されていきます。

有形文化財や重要文化財も含めるとすさまじい数になってきますので、ここでは国宝に指定されている名刀のなかでも、特に興味を引くものをいくつか紹介しましょう。


国宝指定の日本刀は約60振り

冒頭でもお伝えしたように、重要文化財のなかでも特に重要度が高いものを国宝として認定します。

では、この国宝はどれくらいあるのか?というと、なんと60振りもあるんです。日本の歴史を今に伝える日本刀だからこその数と言っていいかもしれません。

この国宝ですが、出来が良ければ指定されるというわけではありません。いくら出来が良くても、その刀が歩んできた歴史が伴っていなければ国宝にはならないんです。

ということで、ここで取り上げる刀はその出来栄えだけでなく、歩んできた歴史についても言及しています。

厚藤四郎

鎌倉時代中期に生きた刀工・粟田口吉光の作品です。

短刀作りの名工と謳われ、かの有名な正宗と並ぶ名工と語り継がれています。

作者の吉光は、鎌倉時代の京都・粟田口派(あわたぐちは)の刀工で、通称を藤四郎(とうしろう)といい、短刀の名手として知られる。
室町時代から名物として名高く、寸法が短くきわめて小ぶりであるが、刀身が極端に厚いことから「厚藤四郎」と呼ばれた。地鉄(じがね)、刃文ともに抜群の出来である。
足利将軍家に伝わり、その後、一柳直末(ひとつやなぎなおすえ)、黒田如水、豊臣秀次、豊臣秀吉などの所有を経て毛利秀元に伝わり、毛利家から徳川家綱に献上されたという。

刀が歩んできた歴史も申し分ありませんね。足利将軍家→一柳直末→黒田如水→豊臣秀次→豊臣秀吉→毛利家→徳川家という素晴らしい経歴を歩んでいます。

童子切安綱

平安時代中期に活躍した刀工・安綱の作品です。

日本刀の歴史を作り上げた一人とも言われており、歴史上重要な人物でもあります。

日本古来から伝わる酒呑童子を切った刀としても有名で、さまざまな逸話も残されている作品です。

天下五剣に数えられる名刀にして、その筆頭。源頼光が酒呑童子退治に用いた、鬼切りの太刀。大包平と並び称される「天下の名刀」。人の胴体六つを一太刀で輪切りする恐るべき切れ味を誇る。

歴史的には、源頼光→足利将軍家→豊臣秀吉→徳川家康→秀忠→松平家と渡ってきました。現在は東京国立博物館に貯蔵されています。

大般若長光

大般若長光は鎌倉時代の刀工です。長光作の太刀が国宝に指定されています。

備前長船派(おさふねは)の刀工、長光の代表作として古来名高い太刀である。室町時代に他に類をみない銭六百貫という代付(だいづけ)がなされたために、大般若経(だいはんにゃきょう)六百巻に引き合わせて、この優雅な名前がついた。

歴史的には足利将軍家→三好長慶→織田信長→徳川家康→奥平信昌→松平忠明と渡ってきました。織田信長が所有したことにより、人気の高い刀でもあります。

日光助眞

日光助眞(すけざね)は、鎌倉時代中期に活躍した刀工・助眞の作品です。徳川家康がこよなく愛した刀として有名で、日光東照宮に祀られています。

助眞は福岡一文字助房の子と伝え、鎌倉中期の福岡一文字派最盛期において活躍し、後に鎌倉幕府に召されて 鎌倉に下り、鎌倉鍛冶の開拓者の一人となったといい、世に鎌倉一文字の呼称がある。
当時鎌倉に下った刀工はこの助眞とその子という助貞と助綱、備前三郎國宗、および山城から粟田口國綱であったという。

歴史としては、加藤清正→徳川家康と渡ったことが知られています。明治43年と古くから国宝に指定されている名刀です。

まとめ

日本刀には他にも数多くの国宝があります。

ここで取り上げたのはごく一部ですが、興味深い日本刀が見つかり次第随時更新していくのでお楽しみに(‘ω’)ノ

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