【斬馬刀は実在した?】相良左之助のモデルは誰?その後はどうなったのか

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ジャンプのなかでも伝説的な作品になったるろうに剣心ですが、そのなかでも相良左之助を一番好きなキャラクターに挙げる人も多いです。

今回は、そんな男前・相良左之助について取り上げます。

果たして相良左之助のモデルとなった人物はいたのか?彼が使う斬馬刀という刀は実際に存在したのか?このあたりを見ていきたいと思います。

相良左之助のモデルは誰?

るろうに剣心は歴史的にも史実にそった部分が多く、各キャラクターにモデルが存在します。

相良左之助にもモデルが存在し、原田左之助をモデルにしたといわれています。

原田左之助はかの有名な新選組の十番隊組長。槍の名手として当時から有名でした。彼は谷万太郎という新選組の隊士から種田流槍術(宝蔵院流槍術)の免許皆伝を受けています。

性格などについても相良左之助を彷彿とさせる部分は多く、原田左之助を知る人物の証言によれば以下のように伝えられています。

短気な性格であったようで、中間時代に上官に当たる武士と喧嘩をして「腹を切る作法も知らぬ下司め」と罵られ、カッとなった原田は本当に腹を切って見せた。傷は浅く命に別状は無かったが、その傷から、「死損ね左之助」と隊内でアダ名されたという。以降腹に一文字の傷が残ったが、天気の良い日には傷を日にさらしながら「てめぇたちのようなヤワなのとは違うんだ。俺の腹は金物の味を知ってるんだぜ」と自慢していたという。これを元に家紋を○に切腹傷の一文字を入れた形にしてしまったという逸話が残っている。その後も酒を飲んでは腹の傷を自慢したり、大声で「切れ!切れ!」と叫んだという。また、このときの切腹の傷が左から真一文にあったため、左利きではないかという説がある。

性格が短気であるという部分などはかなり相良左之助と似ていますね。

斬馬刀は実在したって本当?

意外に思われる方も多いかもしれませんが、相良左之助が持っている斬馬刀という刀は実在しました。

とはいっても、実際の斬馬刀は彼が持っているものほど大きくはなく、実践で使えることが考えられた設計になっています。

こちらが実際の斬馬刀です。古代中国が発祥で、中国の武将などが使っていたとされています。

そして、時代が流れると斬馬刀はより実用的な設計になり、以下のようなものになりました。

一般的な日本刀と比べるとかなりの長さであることが分かります。実際に、この斬馬刀を操れた人物は稀であったともいわれています。

名前の由来はその名の通り『馬をも真っ二つに切り裂く刀』という意味です。

ちなみに、日本には大太刀(野太刀)という長い刀がありますが、これは斬馬刀とは別物です。似ていますが、発祥や期限などが違います。

無論、日本の大太刀もかなり大きく、刀身はおよそ90センチもあったといわれています。

相良左之助のその後

本編を最後まですべて見た人はわかると思いますが、途中で見るのをやめてしまった人やあやふやな人のなかにはその後の展開が気になっている人も多いようです。

相良左之助は剣心の盟友であり、京都大火編でも最後まで剣心とともに戦ったよき仲間です。

そんな相良左之助ですが、その後は外国で馬賊になって各地を放浪する旅をしているという設定になっています。

この設定自体も、上で紹介したように実在した原田左之助をモデルにしていると思われます。というのも、原田左之助自身も正確な死没が不明で、一説によれば馬賊となって外国にわたったという説があるからです。

原田は上野では死なず生き延び、新潟・下関・釜山を経て大陸へ渡り馬賊の頭目になったという伝説がある。日清・日露戦争のときに松山で昔語りをする老軍人がいて「私は原田左之助だ」と名乗ったと伝わっている。1907年(明治40年)頃の愛媛新聞にて弟や甥と会って会話をした後に「満州に帰る」と言い残して去っていったと報じられたが真偽は不明。

このように伝わっており、真意不明ながらもかなり興味深い内容でしょう。

ここからも相良左之助が原田左之助をモデルにしていることが分かりますね。

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