『字が汚い人ほど頭が良い』
とか、
『天才肌の人ほど字が汚い』
という説、聞いたことある人も多いじゃないでしょうか?
聞いたことはなくても『なんかそんな気がしてた!』という人は多いかもしれませんね。
ここで紹介するのはあくまでも私なりの考えですが、『頭が良いこと』と『字が下手なこと』という2つの要素には明らかな相関関係があると思います。
というか、当たり前とさえ思っています。
今までの経験とか周りの人の実例を踏まえて少し考えていきたいと思います。
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目次
頭が良い人は字が汚いと気付きだした中学時代
私がこの説に気付きだしたのは中学時代のことです。
周りにはいわゆる進学校に進むような秀才くんがたくさんいました。
そんな人たちのノートの取り方やテストの答案用紙を見て気付いたんです。
みんな字汚いな。って。
そのときまで字がきれいなことは良いことだと思っていましたし、字が汚い=頭悪そうに見えるとまで聞かされてきました。
でも、実際に頭のいい人たちはみな字が汚かったんですね。
ノートもぐちゃぐちゃだし、そもそも罫線の入っているノートなのに罫線無視。(笑)
テストも最低限読めるレベルの字で書いていました。
仮説が確信に変わった高校時代
頭が良い人ほど字が汚いという仮説は、高校で確信に変わりました。
高校では予備校にいっていて、医学部や旧帝大を受けるようなクラスに入っていました。
当然周りは秀才と天才の集まりなんですが、ここでもみんな字が汚かったんですね。
正直、出なかった授業のノートを見せてもらおうとしても何が書いてあるのかわからない。
そんなレベルでした。
いわゆる自分にしか読めない字ってやつですね。
『頭が良い人→字が汚い』は成り立つけど逆は・・・
ここまで見てきたように、今までの経験から頭が良い人は字が汚い人多いと思います。
ただ、この逆『字が汚い人は頭が良い人』というのは成り立ちません。
正確に言うと、『頭が良い人→字が汚い』は80%くらい当てはまるけど、逆の『字が汚い→頭が良い人』は20%くらいという感覚です。
まぁこれは当然ですよね。
字が汚ければ頭が良いっていうならみんな字汚く書きます(笑)
なんで頭の良い人は字が汚いのか考えてみた
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頭が良いことと字が汚いことの相関関係はメディアでも取り挙げられて議論されていたことがあります。
『頭の回転について行けていない』
『字を書く練習なんてしている時間があったら勉強しているから』
いろんな意見が交わされていましたが、個人的にはそんなことよりも単純に合理的だからだと思います。
合理的だとなぜ字は汚いのか?
例えば、学校の授業中にノートを取るという状況を考えてみましょう。
このノートを取るという目的はなんでしょうか?
授業中に板書を移すという行為の目的は、後から復習できるようにするためですよね。
別に、ノートを人に見せるために書いているわけでもないし、一つの作品を作っているわけでもないですよね。
要は、あとから自分が見てわかればいいんです。
合理的な人というのは、目的遂行のために余計なものは排除する傾向にあります。
というよりも、合理的というのはそういうことですよね。
ノートをきれいに取る時間があったら、話に集中したほうがいいし、一つでも多くの問題を解いた方がいいわけです。
美しいノートなんて取る必要がありません。
綺麗にノートを取る人ほど意味のないノートになっている傾向がある
意味のないノートというのは、いわゆる板書丸写しのノートです。
もちろんノートは板書を写すのが基本ですが、頭のいい人や勉強のできる人は板書よりも先生や講師の話に注目しています。
そして、授業や講義のなかで言っていることをノートに書き込んでいます。
振り返ってみるとわかると思いますが、板書なんて基本的に教科書の例題を映したものか、回答をなぞったものばかリじゃないですか?
本当に重要なことというのは、基本的に講義の話の中でサラッと言われるものです。
だからこそノートを書くことなんかに時間を使ってないで、話のほうに集中しなければいけないんです。
『字がきれい=良いこと』という意味の分からない道徳観
日本には昔からこういう道徳観がありますよね。
確かに字がきれいなことは素晴らしいことだと思います。
書道が昔から愛されてきたことからも分かります。
でも、綺麗な字を書く=素晴らしいことというのは違うと思うんですよね。
習字とかっていわゆる芸術の分野じゃないですか。
勉強は違いますよね。
そもそも文字は人に意味を伝えたり、記録を残すためのツールです。
勉強でも字をきれいに書かないといけないなんて思っていると、合理的に考えられる連中からどんどん取り残されていくと思いますよ。
海外では字がきれいなことを称賛する習慣はない
私は海外への留学経験などはないため、これは留学経験のある友人に聞いた話です。
海外では、字をきれいに書こうという意識そのものがほとんどないようで、優秀な学生は字が汚いというのはもはや当然のようです。
そんなところにエネルギーを割いているなんてどうかしている。
そうといわんばかりに、綺麗な字を書くことへの意識がないようです。
こういうところにも日本人と欧米人の合理性の差が出ていると思います。
字がきれいな人ほど勉強できない
ちなみに、これも必ずしも当てはまるわけではないですが、かなりの確率でそうだと思います。
今までの経験からしてもそういう傾向にあると思います。
ただ、ここで注意してほしいのが、頭が悪いではなくて、勉強ができないと書いているところです。
頭が良いか悪いかは分かりませんが、とにかく字がきれいな人には勉強ができない人が多いと思います。
なんていうでしょうかね。
一言でいうなら非効率というんでしょうか。
ノートをきれいに取ったりしている人のなかに、勉強ができる人はほとんどいないと思います。
もちろん、中にはいますよ。字もきれいで勉強もできる人。
でも、割合的には圧倒的に字がきれい=勉強ができない人が多いと思います。
だって普通に考えてそうじゃないですか。
字を丁寧に書いても成績なんて上がりませんよね。
そんなんで成績上がるならだれでもきれいに書きます。
1日24時間という時間は、すべての人に共通しているんです。
それなのに字をきれいに書くことにエネルギーを投入するなんて、勉強本来の意味を見失っているとさえ言えますよね。
まぁこれはあくまでも私の考えですし、『私はエネルギーなんて使わないで無意識にきれいな字が書けますが?』という人もいそうですが、そういう人は良いと思いますよ。
それはそれで素晴らしいことですからね。
でも、字をきれいに書こうとして、勉強とか学習の分野で損をしている人はかなり多いと思いますよ。