ザ・ブルーハーツの名曲『青空』の歌詞の意味を考えてみる

音楽

伝説のロックバンド『ザ・ブルーハーツ』。

好きな人も多いんじゃないでしょうか?

私も年代は違いますが、ブルーハーツのファンのひとりです。

ブルーハーツの曲はCMやドラマなどで多く使われているので、有名な曲が多いですが、そのなかでも『青空』は名曲中の名曲ですよね。

ということで、青空の歌詞と真剣に向き合って、歌詞の意味を考えてみました。

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青春時代だれもが抱いた自由へのあこがれ

まず歌詞を掲載しておきます。

作詞作曲:真島昌利

ブラウン管の向こう側 カッコつけた騎兵隊が
インディアンを打ち倒した ピカピカに光った銃で
できれば僕の憂鬱を 撃ち倒してくれればよかったのに

神様にワイロを贈り 天国へのパスポートを
ねだるなんて本気なのか? 誠実さのかけらもなく
笑っている奴がいるよ 隠しているその手を見せてみろよ

※生まれたところや皮膚や目の色で
一体この僕の何がわかるというのだろう
運転手さんそのバスに 僕も乗っけてくれないか
行き先ならどこでもいい こんなはずじゃなかっただろ?
歴史が僕を問い詰める まぶしいほど青い空の真下で※

(※くり返し)

青空の真下で青空の真下で
青空の青空の

Aメロ部分

歌は『ブラウン管の向こう側』という一説から始まりますね。

ブラウン管はもちろんブラウン管テレビのことで、その向こう側にカッコつけた騎兵隊がいるという場面です。

視点的には自分自身がテレビの前に座っていて、テレビ越しにインディアンを打倒した騎兵隊を見ているという感じです。

ここで、2つの解釈が出てきます。

  • 実際に打ち倒した風景を見ている
  • テレビ越しに西部劇などを見ている

正直どちらとも取れますが、私は前者だと思っています。

そして、その風景をテレビ越しに見ている自分という描き方をすることで、自分のいる世界とは別の遠い世界の話のような印象を与えます。

それに続く『できれば僕の憂鬱を 撃ち倒してくれればよかったのに』という一説は、青春時代の思い悩んでいる晴れない気持ちを歌っていると思います。

中学生や高校生のティーン時代には、誰でも(特に男性は)なんか晴れない気持ちというのを体験したことがあると思います。

なんのために学校に行ってるんだろう?なんで勉強してるんだろう?本当の友情って何?本当の恋愛って何?

人それぞれいろいろだと思いますが、こういう入り混じった憂鬱を打倒してくれればよかったのにという感じでしょうか。

Bメロ部分

『神様にワイロを贈り 天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか?』

この一説は、この歌の中で一番好きな部分でもあります。

意味的には『天国=自由・極楽の象徴』ということで、『自由を手に入れるために姑息な手段をつかうなんてマジか?』みたいな意味だと解釈しています。

それに続く『誠実さのかけらもなく笑っている奴がいるよ 隠しているその手を見せてみろよ』と合わせて考えてみると、政治家や汚い大人たちというものを揶揄している感じに受け取れますね。

その手を見せてみろというのは、別に手の中に何かを隠しているわけではなく、『手の内を明かす』という言葉があるように、『真実を見せてみろよ』という感じの意味だと思います。

ここまで見てみても、相当純粋な少年という印象がありますね。

サビ部分

ここの解釈は正直難しい。

ただ、個人的には『個性を尊重したい』という意味だと思っています。

『生まれたところや皮膚や目の色』というのは、すべて生まれながらにして備わっている要素ですよね。

この要素だけで人は判断できない。つまり、人それぞれ違う個性を持っているということです。

例えば、勉強が全くできずに高校に進学できないとします。

今は高校に行くのが普通だ!みたいに言われていますが、別にいかないというのもひとつの選択肢であるということです。

目の前にフルーツが置かれて、『バナナを選ぶか?リンゴを選ぶか?』を決めるのと同じように、『高校に行くか?いかないのか?』というのも自由だろって感じです。

どれを選んでもそれは個性であって、その選択によって人の本質は決まらないんだよってことだと思います。

サビ後半の『運転手さんそのバスに 僕も乗っけてくれないか』からの一文は、まさに自由になりたい少年のあこがれを象徴していると思います。

まぶしいそらの真下で、真実を見つけたい。

そんな純粋な心が描かれている気がします。

差別に対する曲という解釈もある

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『青空』は、差別を否定する曲だと解釈している人も多くいます。

サビの『生まれたところや皮膚や目の色で 一体この僕の何がわかるというのだろう』という部分は、ストレートに解釈したら差別に対する言葉に見えますね。

いわゆるその時代を風刺したプロテストソングの一種という解釈です。

こういう解釈も、確かにできるでしょう。

サビの部分の『運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか』というのは、『差別をやめろ』という意味であるという解釈をしている人もいました。

なぜかというと、キング牧師の黒人解放運動のさなか、バス不乗運動が行われたという歴史があるからです。

人種差別を撤廃して、人類みな平等にという願いが込められているという感じですね。

青空には歌詞違いバージョンもある

正式に発表はされていないようですが、実は『青空』は当初違う歌詞だったという話があります。

実際にライブでマーシーが歌っている音源があります。

歌詞は以下。

作詞作曲:真島昌利

ブラウン管の向こう側
カッコつけた騎兵隊が
インディアンを打ち倒した
ピカピカに光った銃で
できれば僕の憂鬱を
撃ち倒してくれればよかったのに

神様にワイロを贈り
天国へのパスポートを
ねだるなんて本気なのか?
誠実さのかけらもなく
笑っている奴がいるよ
隠しているその手を見せてみろよ

※生まれたところや皮膚や目の色で
一体この僕の何がわかるというのだろう
運転手さんそのバスに
僕も乗っけてくれないか
行き先ならどこでもいい
やすっぽい神様たちが 君をメクラにするだろう
まぶしいほど青い空の真下で※

(※くり返し)

青空の真下で青空の真下で
青空の青空の

歌詞が違うのは赤字の部分だけですが、これが『こんなはずじゃなかっただろ?歴史が僕を問い詰める』に変更された理由には諸説あります。

単純に『メクラ』という言葉が差別的表現なので書き替えられたという説が強いですが、真相はわかりません。

でも、この歌詞を聞くと、より青春時代のあこがれなどを強く歌っている歌に聞こえますね。

まとめ

歌詞の意味について考えてみましたが、結論を言ってしまえば『歌詞の受け取り方は人それぞれ』です。

というか、それが歌の良いところですよね。

特にブルーハーツの曲(マーシーが書く曲)というのは抽象的な歌詞のものが多いです。

抽象的なので、サラッと聞いただけではあまり意味がよく分からないところもありますが、よくよく考えてみるとかなり深い歌詞になっている。

そんな曲がたくさんあります。

また、抽象的だからこそ多くの人の心に響くというのもありますよね。

聞いた人それぞれの心の状態や人生経験などによって、受け取り方が変わってきます。

たまに『マーシーの気持ちを全然わかっていない』とか、『歌詞の真意がわかっていない』という人がいますが、それはおかしいわけです。

だって菓子の受け取り方は人それぞれで良いわけですから。

伝えたい方向性はあったとしても、それぞれの受け取り方にゆだねるという歌を作詞家は目指していると思います。

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