こんにちはJJです。
今回は安藤昇さんについて取り上げていきたいと思います!
2015年12月16日に、89年の生涯に幕を閉じられましたね。ご冥福をお祈り申し上げます。
彼はヤクザとしての過去と、俳優やプロデューサーとしての芸能活動という2つの顔を持つ芸能界でも稀な存在でした。
芸能界と暴力団の黒いうわさは昔からありますが、彼の場合は公表していますからね。
そんな彼について、追悼の意を込めて生涯を振り返ってみたいと思います。
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安藤昇
安藤昇(あんどうのぼる)さんは1926年生まれの俳優です。
俳優の他にもプロデューサーや小説家、歌手など様々な分野で活躍されました。
既に書いた通り、元ヤクザとしても有名な方で、安藤組のトップでした。
全盛期の構成員は500人以上にも上ったようで、中には早慶などの高学歴の若者もいたようです。
当時の写真を見てみると分かりますが、若い頃の彼は顔立ちもよく、求心力はすさまじかったようです。
昔の日本のヤクザというと着物というイメージが強いですよね。
現在は着物を普段着用しているヤクザってほとんどいませんが、背広を普段から着るように推奨し、現在の形を作ったのは彼といってもいいかもしれません。
言い方は少し乱暴ですが、古臭かった当時のヤクザを現代のヤクザに昇華した人といっても過言ではないと思います。
現在と息子について!
記事の作成段階では彼の訃報はまだ伝えられていなかったため、現在となっていますが、今となっては過去という感じですね。
昭和10年代の浅草を舞台にしたVシネマである『総長の首』という映画を最後に彼は俳優業を引退します。
これの公開が1979年のことですので、実に40年近くテレビなどメディアへの露出はなかったことになりますね。
晩年は自身作成のVシネマなどのプロデュース業を中心に仕事は継続的にされていたようです。
田岡組長や花形敬、山口祥子との関係!
彼の周辺の人脈や人物相関について見ていきましょう。
まず田岡組長について。
田岡一雄といえば山口組を現在の巨大組織にした方でもあり、山口組を語るうえでは決して欠かすことの出来ない方ですね。伝説の組長です。
そんな彼との関係ですが、ヤクザとして生きた時代は同じではあっても直接的な関係はどうやら無いようです。
ただ、日本人では無い(朝鮮や中国人)に対する扱いが排他的だった田岡組長などの一派に対して安藤さんは国籍関係なく敵味方という概念だけで付き合うという当時では珍しい考えをお持ちだったそうです。
花形敬といえば、日本のヤクザ史の中でも最強の人物との呼び声が高い伝説のヤクザですよね。
そんな花形さんと安藤さんの関係はなかなか深いもので、若い頃は安藤さんによくかわいがられたそうです。
伝説のヤクザである花形敬の育ての親って感じですかね。凄いことが良く分かると思います。
山口洋子さんといえば作詞家として有名な方ですね。
彼女も2013年に肺炎のため入院、2014年に他界されています。
直木賞の受賞者としても有名で、作家としての活動もメインで行っていました。
1968年頃から作詞活動を開始し、ヒットメーカーとして有名になります。
現在でも音楽界の重鎮として作曲活動を行っている平尾昌晃さんとは当時の音楽界では二人そろえばヒット間違いなし!とも言われるような最強コンビでした。
そんな彼女と安藤さんは恋愛関係にあったことで有名ですね。
安藤さんとの恋愛について山口洋子さんは『鋭いものを持った男に女はときめく』と語ったそうです。