こんにちは。JJです。
今回は、杉原千畝さんを取り上げます。
杉原千畝さんといえば、恐らく日本の外交官の中で最も海外での知名度が高い方ではないでしょうか?
海外では『日本のシンドラー』とも呼ばれ、当時の外務省の命令を無視してまでビザを発給し続け、6000人にも上るユダヤ人の命を救ったことで知られていますね。
今でこそ国内でも杉原千畝さんの功績は称えられていますが、当時の千畝さんへの風当たりは強かったようです。
いくら人道的精神を貫いたとしても、外務省の命令を無視したという事実は拭えません。
そのことが政府によって問題視されてしまったのです。
しかし、千畝さんの名誉は戦後46年を経て回復されることになります。
この裏には千畝さんの奥様である幸子さんの活躍がありました。
また、千畝さんには3人のお子さんがいらっしゃいました。
多くのユダヤ人を救い、後にイスラエル政府から日本人で唯一“正義の人”として称えられた千畝さんの意志は子供にも受け継がれているのでしょうか?
今回は、命のビザを発給し続けた正義の人・杉原千畝さんの奥様とその子供たちについて調べてみました。
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“日本のシンドラー”杉原千畝を支えた妻・幸子の想いとは?
外交官の千畝さんを陰ながら支えたのが妻の幸子さんでした。
幸子さんは歌人としての一面もあり、大戦下のヨーロッパでの暮らしを詩に収めた歌集『白夜』を発表されています。
歌人としても活動する中で、後世に最も影響を与えた著書が『六千人の命のビザ』です。
今でこそ千畝さんの功績は広く知れ渡っていますが、これはもともと千畝さんの独断によるものだっため、日本政府には秘密裏に行われていました。
しかし、外務省の命令違反が発覚すると千畝さんはその行為を非難され、ついには外交官としての職を追われることになります。
世間の誤解を受ける中で、最も側で寄り添っていた幸子さんだけが千畝さんの真実を知ってしました。
その真実が綴られたのがこの『六千人の命のビザ』なのです。
この本の存在により、千畝さんの真実が世間一般にも広く知られるようになりました。
そして、戦争が終結してから46年後の1991年に千畝さんの名誉はついに公の場で回復することになるのです。
この年、当時外務政務次官だった鈴木宗男氏によって幸子さん本人へ正式な謝罪と感謝が述べられました。
幸子さんの想いが実を結んだ瞬間でした。
6000人の命を救った杉原千畝の子供は今どうしているのか?
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幸子さんには3人の子供がいますが、ここではその子供たちについて見ていきましょう。
子供たちのことを調べていて分かったことは、ほとんど情報が公開されていないということです。
そのため、簡単なことしか分かりませんでした・・・
簡単ではありますが、3人についてまとめてみました。
【杉原弘樹】
杉原家の長男であり、翻訳家として活動。
神奈川県の湘南高校を卒業後、アメリカのカリフォルニアに留学。
母・幸子さんが著した『六千人の命のビザ』を英訳し、父・千畝さんの真実を世界に広める。
【杉原千暁】
杉原家の次男であり、1938年にヘルシンキで生まれる。
2002年、ロサンゼルスにあるリトル東京で杉原千畝の銅像が建立される際、ロサンゼルス総領事、日本領事館の国方主席領事館とともに招待を受ける。
【杉原伸夫】
杉原家の四男であり、2000年には国際シオニスト婦人団体WIZOから人道賞を授与され、マイアミ市名誉市民権が与えられる。
同年、母・幸子さんと共に国立ワシントンホロコースト博物館開館式に招待される。
2014年、リトアニア大統領からユダヤ人を助けた人々への感謝式に参列。
3人に関する情報はこの程度のものしかなかったのですが、その活動を見る限り、千畝さんや幸子さんの思いは今なお受け継がれていますね!
まとめ
今回は、杉原千畝さんの奥さんや3人の子供について取り上げました。
『日本のシンドラー』とも呼ばれ、日本のみならず海外でも数々の賞賛を受ける千畝さんですが、その正義は時を超え、国を越え、世代を超えて現代にも息づいていることが分かりました。
お子さんを初めとする語り部が存在する限り、千畝さんの正義はこれからも途切れることなく受け継がれていくでしょうね!
今後を担っていく若い世代の方たちにも千畝さんの想いをぜひ知ってもらいたいですね。