師走ってなぜ忙しいの?忙しいといわれている理由!

コラム
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師走って忙しいって言われますよね。

日本では12月を師走と言って、一年間でももっとも忙し時期なんて言われたりします。

しかし、そういわれはするけど、実際のところその理由を詳しく知っている人ってあまりいませんよね。

個人的にも『師走=忙しい』というイメージがなぜついたのか気になったので、詳しく調べてみました。

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師走の語源というものについて

これは誰もが気になる、昔から言われている師走の語源に関しての内容になりますが、大抵の場合、学校の授業や暦に関しての専門書等において、元々我が国が仏教国であり、年末に多くの宗派において僧侶があちこちで読経などを挙げたりするといった歴史的経緯から、このような12月の月についての読み方をするようになったと言われているようです。やはり、はるか大和朝廷時代の当時の南北2つに分かれていた中国の北魏と宋の両国から仏教が国内へ導入をされて、それがきっかけで主に平安時代や鎌倉時代にかけて、多くの宗派が成立をするように至ったといった事情などと、どうも大いに関係があるようですので、時代の推移とともに、こうした呼び名が12月に対して付くようになったものと、考えられています。

実際に師走の名前通り、忙しいのか

しかしながら、実際にはそうした忙しさなどは世界的に見てみても、我が国内の仏教宗派をはじめ、キリスト教やイスラム教、神道、それらの宗教界などのような、社会的な一部の分野の人々の間での忙しさのみといった現状が、見ていてあるような感じがします。本格的に忙しいのは実際にも、各社会階層や産業別、業界毎それぞれにおいて異なるといった実態があり、均一に、世の中全体が忙しいといった解釈は明らかに間違いである事が、見ていてもようくわかります。実際にも、一般的な各業界においての決算期なども、翌年の1月から3月もしくは4月あたりであり、学業関連の受験なども、早くても9月下旬から始まり、遅くても翌年の3月下旬くらい等々、本当にそれぞれの各社会的分野毎において、忙しさが異なるのが現状です。

それぞれの方による、解釈の違い

やはり、これも先程の2.の段落においての内容に共通をするものであるといえますが、各社会的分野での違いのあり方などに加えて、職業柄あるいは産業別などによる、個々人の方による師走に関しての解釈の違いといったものが、間違いなく存在しています。自営業者の方などでも、その専門としての生業にしている業種などによっては、お盆の時期が忙しい、あるいはお正月期がとくに忙しい、年間を通じて無休である、等々といった違いなどもあり、これらの点が大変特徴的といえます。この点を考えると、師走などの言葉をはじめとする、古代にどうも起源があるものと思われる、月毎においての呼び方などといったものに関しては、やはり、もう止めるべきではないのかとも思えます。そうは言いたいところなどもあるかもしれませんが、しかしながら実際にも、現在も仏教やキリスト教、神道などの宗教界などで、この古語的な季節の呼び名に、職業上どうしても何らかのカタチでこだわらなければならないような境遇の方々などもおられたりしますので、やはり課題であるといえるかもしれません。

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一般的な師走の概念について

ここで、現在の一般的な我が国内にいての師走という言葉の概念について触れてみたいと思います。今回の記事に添付をさせて頂いたURLなどにもあるように、師走と言えば年末であるなどといった、イメージについてのコメントなどが多く見られます。現在の大抵の方から見たりした師走の言葉に関しての捉え方などといったものに関しては、このような見方が一般的になされていることが、ようくわかります。そしてまた、先程の3.のところなどでもある程度触れたりしましたが、正月期などにおいてちょうど忙しくなるなどの産業分野の方の場合、観光地や都市部の繁華街などにおいての、正月休みである客層の方の確保などを目的として、商売などを集中的にされたりする方などもいたりしますので、そのような方の場合に、忙しい概念で使われるような傾向がある感じがします。

時代の変化の流れでの、師走に関しての向き方

様々な意見があるのは事実であり、師走という呼び名そのものを無くすべきだ、あるいは、師走に代わる呼び名を考えなくてはならない、師走の意味の解釈を変えた考え方をするべきだ、その他、本当に多くの考え方を持たれたりしているような方が、実際にも世の中には少なくはありません。それだけにやはり、古来からは一時期しきたりの1つとしても呼ばれてきた、月毎においてのこうした古語読みなども、時代の推移などとともに、その解釈のあり方や考え方などが、間違いなく変わってきているような感じもします。そうした分それだけに、この月読みに関しての捉え方などといったものも、その時代それぞれに合ったようなカタチが、間違いなく必要になってきているような風潮は大いにあるものと、考えられます。

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