多くの犠牲者を数えた沖縄戦を振り返る

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こんにちは。JJです。

今年もこの時期になりました。

1945年6月23日。

この日に何が起こったかご存知ですか?

そう…
太平洋戦争において、”史上最大の激戦”と言われた『沖縄戦』が終結した日です。

戦争なんて二度と繰り返してはならないものです。

ですが、”平和”な現代を生きる我々が過去の過ちに無関心というのは、あまりにも無責任ではないでしょうか?

今回取り上げるこの『沖縄戦』の話は、我々ひとりひとりが真摯に向き合わなければならない問題です。

なぜなら、それは沖縄戦で起きたある”悲劇”が関係しているのです。

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“沖縄戦の悲劇” 犠牲者の数は20万人以上。

『なぜ沖縄戦は”悲劇”だったのか?』

もちろん、戦争はどんなものでも”悲劇”に違いありません。

ですが、この沖縄戦だけはその意味合いが少し違うのです。

それを知るためには、犠牲者の内訳を知る必要があります。

日本側の犠牲者(行方不明者含む)ですが、188,136名にも上ります。

沖縄戦の戦没者20万人に対して、日本側は約19万人ということから、
この戦争の最大の犠牲は日本側にあったことが分かります。

しかし、それだけではありません。

この19万人のうち、94,000人は武器も持たない非戦闘員、つまり、”民間人”だったのです。

しかも、これに加えて、戦闘に駆り出された人間が28,228人も存在します。
彼らはもともと沖縄に住む”一般住民”でした。

つまり、両者の数を足すと、その数は、122,228人も及ぶことになります。

これが、沖縄戦が”悲劇”と言われる理由です。

沖縄戦による戦没者のうち、約6割が民間人だったんですね…

なぜ、これほどまでに多くの民間人が犠牲になってしまったのかというと、
それは、この沖縄戦が”地上戦”だったからなんです。

戦闘を地上に持ち込めば、一般住民まで巻き込むのは当たり前の話ですよね。

ですが、当時の沖縄守備軍は、アメリカ軍の本土上陸を何の抵抗もせずに許してしまったのです。

にわかには信じがたい話ですが、
この沖縄戦は、最初から民間人の犠牲も計画に入っていたという説も存在しています。

しかし、沖縄戦の”悲劇”はこれだけでは終わらないのです…

味方の裏切り…

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犠牲者の多くが民間人という事実には驚きを隠せませんが、
まだこれで”悲劇”が終わったわけではありませんでした。

もしかしたら、これこそ沖縄戦の”最大の悲劇”かもしれません。

それは、日本軍による住民の被害。

具体的な犠牲者数については諸説あるため、断言できませんが、
その数は約200〜1000人ほどの住民が犠牲になっているようです。

味方であるはずの日本軍による犯行。

嘘みたいな話ですが、これはれっきとした事実です。

以下は、公にされている事件の一例です。

・久米島守備隊住民虐殺事件
・渡野喜屋事件
・名護市照屋忠英学校長殺害事件

これだけでも、58人もの尊い命が奪われています。

しかも、味方の手によって…

殺害した理由の中で、最も多かったのは、”スパイ容疑”です。
敵国と内通していると疑われた人間は、たとえ確たる証拠がなく犠牲になりました。

まとめ

今回は、日本史上に残る”悲劇の戦争”と言われた沖縄戦について取り上げましたが、いかがでしたでしょうか?

この沖縄戦が持つ意味は非常に大きいと思います。

戦争の被害者のほとんどが武器も持たない善良な市民だったということ。
日本軍から集団自決を強要されたということ。

そして、この”悲劇”が我々の住むこの『日本』で実際に起きたということ。

この衝撃的な事実を突きつけられて、なお無関心でいられるでしょうか?

そんな無責任な態度が許されるはずはありません。

なぜなら、我々が生きる現代は、最期まで懸命に生きた当時の人たちによって支えられているからです。

これからの時代を築く我々にとって、沖縄戦の悲劇は知るべきだし、知らなければならないと思います。

戦争で犠牲になった方たちを慰めるためにも。
そして、もう二度と戦争の悲劇を繰り返さないためにも。

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